原田浩司氏【宇都宮大学大学院】学び合う関係づくりが学校を変える
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学び合う関係づくりが学校を変える
今回の「在り方大学」では、宇都宮大学大学院 教育学研究科 准教授の原田浩司氏をゲストに迎える。
障害のある子どもたち(幼児・児童・生徒)一人一人の教育的ニーズを把握し、適切な指導、必要な支援を行う「特別支援教育」。特別支援教育は2007年4月から学校教育法に位置づけられ、全国の学校で、子どもたちに向けた支援の取り組みが行われている。
文部科学省の調査(2012年実施)では、公立の小・中学校の通常学級に発達障害の可能性のある子どもが6.5%いると推定されており、通常学級に在籍しながら、一部の授業を「通級指導」で学ぶ公立学校の小・中学生は、全国で9万人あまり(2015年度)と過去最高にのぼったことも発表された。支援が必要な生徒を学校全体でどのように把握し対応するか、学校現場での試行錯誤が続く中、いち早く特別支援教育を中核とした学校改善に取り組んできたのが、原田氏が校長を務めた、栃木県鹿沼市立みなみ小学校である。同校の実践は特別支援教育のみならず、学校経営のモデルとしても、全国から注目を集めた。
原田氏は2015年より、校内支援システム構築と学校経営マネジメントを専門に、宇都宮大学大学院で研究および後進の指導に当たっている。原田氏の考える「支援の在り方」とは。<編集部より>
原田浩司氏 宇都宮大学大学院 教育学研究科 准教授
学びにくさを抱える子どもたちに寄り添って
有限会社アップライジング 代表取締役 齋藤幸一(以下、齋藤): 本日は原田准教授のこれまでについて、栃木県鹿沼市での取り組み、教育に対する考え方などを聞かせていただきます。まず、原田准教授の生い立ち、育った環境や人生観についてお聞かせください。
宇都宮大学大学院 教育学研究科 准教授 原田浩司(以下、原田): 私は鹿沼市生まれで、父はパン屋を営んでいました。私が二代目として事業を継がなければいけない状況で、大学は一旦、経済学部に入りました。しかしその後、オイルショックが起き、専門で学んだ貿易業に就職することが困難になりました。周囲の友人が就職を決めていく中、小学校の教員である友人を訪ねたことがきっかけで、改めて、教員をめざすことを決意したのです。通信教育を受けた後、宇都宮大学教育学部に空きがあったので入学、卒業して、教員免許を取得しました。
齋藤: オイルショックと、ご友人の影響で教員の道へと進路変更されたのですね。
原田: 父が、安定した公務員思考と言うよりは、パン屋で自分の道を切り拓いていくタイプでした。自分もその影響を受けていたので、まさか自分が教員の道に進むとは思わなかったですね。しかし、計らずも公務員として、道を切り拓いていくことになります。
大学卒業後、栃木県の教員になり、初任地が地方の中学校でした。かなりのへき地で大変だったという印象が強いです。そこから、鬼怒川温泉地域(日光市)の藤原中学校に1年間勤務しました。当時の藤原中学校は荒んでいて、校内暴力がかなりあり、先生方もなかなか手に負えない状況でした。
その中に、不登校の生徒がいました。その生徒には何回か家庭訪問をしたが会えずじまいで、そのまま転校してしまったのです。担任でありながら、自分は何もできなかった。それを悔しく思い、学会や研究会に入り勉強しました。今から約30年前のことです。
齋藤: なるほど。一人の生徒さんから、さらに教育について深く学ばれるようになったのですか。
原田: そうですね。それがきっかけで自分で勉強するようになりました。
齋藤: 「二足のわらじ」と言ったところでしょうか。
原田: いえ、どちらも教育の一環としてやっていました。自分が学年主任を務めた時に、不登校や学習に遅れがある自分のクラスの生徒だけでなく、他のクラスも管理できる立場になりたいと思うようになりました。そこで、現在で言う「支援教育コーディネーター」の仕事に就きました。
齋藤: そのようなポジションを作ってくれる校長先生も、なかなかおられないでしょうね。
原田: 恩師となった校長ですね。私は「支援教育コーディネーター」を務めていたため、新しいチャンスとして、教育課題についての調査研究を行う「鹿沼市総合教育研究所」設置に関わりました。研究所にも赴任するはずでしたが、その時、私が教頭職になることが決まっていたため、別な方が研究所に行かれることになりました。その後、鹿沼市立みなみ小学校の校長に着任したのです。
どんな子どもも認め、受け止める
齋藤: みなみ小学校での経験が、原田准教授にとって重要なものだったんですね。
原田: そうですね。その学校には「ネバーランド」という特別支援クラスがありました。障害を抱えている生徒と接するのは、かなり大変でした。通常、校長の在任期間は2~3年が多いのですが、私の場合は6年。それは珍しいことでした。
退職する時、教職大学院に新しい動きがあったのです。それまでは教育現場では、なかなか実践的なことができなかったのが現状でした。私の支援教育コーディネーターや校長としての経歴があり、校長を最後に退職後、宇都宮大学大学院教育学研究科に入りました。
齋藤: 私も、みなみ小学校のネバーランドクラスには何度も伺いました。ラーメンの炊き出しを行ったこともあります。
原田: 衣食住を取り入れれば、子どもたちの教育はうまくいくだろう、と言うのが以前から考えていたことです。それで、集団で衣食住を強化しました。しかし、近年は虐待の問題が出てきました。親から子どもを離さざるを得ないことが多くなってきたのです。衣食住を満たすだけでは、子どもの心の傷を癒せない。そういった子どもは愛情を求めている。自分が愛情を受けると、愛情も自然に出てくる。しかし、自分が暴力をふるわれていると、自分も他人にそうするようになってしまう。それが校内での暴力問題や非行へとつながってしまうのです。私が赴任した時、みなみ小学校にもそのような子どもがたくさんいました。
齋藤: では、原田准教授の校長在任中にも、問題が起こったということでしょうか?
原田: はい。
齋藤: 学校全体として、次第に良い方向へと変わっていったのですか?
原田: 徐々に変わっていきました。しかし、幼少期に親から虐待などを受けることで、自分の感情や行動をうまくコントロールできなくなる「愛着障害」を持っている子どもの扱いを考えなければならなかったですね。正攻法がありませんでしたから、試行錯誤でした。通常は、子どもが傷ついたら周りが守ってくれる。しかし、その環境がない子どもは愛情を求めている。そのような子どもたちに対してのケアや対応方法を考えるようになりました。
齋藤: 特に、3人の子どもたちが大変でした。学校や授業になかなか入ることができません。それをするだけでも、彼らにとってはハードなことだったのです。それを理解するために、その子どもたちと多く接するようになりました。彼らは大人を指導者としか見ていない。しかし、校長が遊んでくれるから、どんどん心を私に開いてくれるようになりました。
段階を経て相手の心を開き、対話する。他の子どもたちは、何も言いませんでした。多分、他の子どもたちも、そのやり取りが彼らに取って必要だと理解していたのです。もちろん、同校の教員には趣旨を説明して取り組みました。次第に、その子どもたちに対する周囲の態度も変わっていき、1年後にはほぼ暴力がなくなっていきました。
齋藤: 一生付き合っていきたい校長先生ですよね。例えば結婚式に呼ばれるような。
原田: もちろん、保護者自身も態度を改めなければならない。児童養護施設には空きがないし、保護者が養育したほうがいいのは当然です。しかし、子どもにとっては帰る場所がないことが問題なのです。結局自宅に戻っても、また暴力のある生活に戻ってしまう。そのような悪循環を断つには、何より教育が大切なのです。
障害の有無に関わらず、能力を活かして学び合う
齋藤: 私たちの会社にも、児童養護施設から就職した方がいます。知人から紹介され、面接して採用しました。前の職場でなぜうまくいかなかったのか、こちらには分からないくらい、生き生きとしています。家庭環境に恵まれないなどの事情を抱える子どもたちの就業を考える上で、これから必要となるのはどんなことでしょうか。
原田: ある一定の部分だけできないから就職面接でうまくいかない、就労していくのが困難になるなど、目に見えない、さまざまな障害を持っている子どもたちがいます。そのような子どもたちの能力を伸長する試みが、現在始まっています。一見普通に見えますから、社会では周囲にできないことを責められます。ですから愛着障害になってしまう。しかし、そのような特性を持った方を責めるのは間違っているのです。
「インクルーシブ教育システム」(障害のある方が精神的・身体的な能力等を可能な最大限度まで発達させ、自由な社会に効果的に参加できることを目的に、障害のある方と障害のない方が共に学ぶ仕組み)と言いますが、ハンディキャップを持っている人の良いところを使って社会をより良くしていく。これがこれからの日本に必要なことです。このような取り組みは素晴らしいと思います。
齋藤: 私どもの会社で働く児童養護施設出身の方は、ペットボトルのキャップをユニセフ(UNICEF:国連児童基金)に寄付する担当者になっています。その方にはどんどん達成感を味わってもらって、生き生きと活動している姿を周りに見せたいと思っています。
また、知的障がいがある方で、タイヤを剥がすことに一生懸命に取り組んでくれる方もいます。障がいのある方の雇用はなかなか社会的に浸透しない難しさがあるかもしれないですが、その人たちの力を最大限に活かすことがかなり重要だと思います。
原田: 齋藤さんの話を聞いていて思ったのは、児童養護施設で育つと、家庭で育った子どもたちに加え、たくさん寄附やボランティアをしてもらっています。ですから、慈善事業だけだとあまり効果がなく、日常が大切なのです。必要なのは「もの」ではありません。何か「やりがい」が必要になってきます。児童養護施設から卒業すれば、自分の力ですべてを行わなければいけません。それができないと、子どもたちは社会からはみ出てしまうのです。
齋藤: なるほど。継続的な目標が必要なのですね。
教育の充実こそが、社会的利益をもたらす
齋藤: これまでのご経験を踏まえ、原田准教授は今後の活動として、どのようなことをお考えですか?
原田: 今は大学院生を教育して、教育界で活躍できる人材を育てるのが、私の役目だと考えています。学習障害(読み・書き・計算などの特定の能力取得に困難を伴う障害)を持つ子どもたちが増えています。そのような子どもたちは社会から受け入れられない場合が多々あります。もちろん、子どもたちを支援している人も、応援していきたいと思います。
齋藤: 例えば、塾を立ち上げてお金を儲けるよりは、困難を抱える子どもたちやその支援者を救っていきたいといった感じですね。
原田: そうですね。やっぱり社会全体として良くなる方法を考えなくてはいけない。彼らを教育面から継続的に支援することが、社会としての利益をもたらすと考えています。今は、学校現場でもさまざまな取り組みがなされており、私にも経験者としてかなりのオファーが来ます。学びが困難な子どもたちを作らないように、教育を充実していく。貧富の格差が教育の妨げになり、さらに社会的に困難を抱える方をどんどん作ってしまうのです。
齋藤: 貧困が生み出す教育格差は大きいです。なかなか解決するのは難しいですが、それを解決できる人材を生み出すのが私の将来の展望ではあります。
齋藤: 本日は貴重な対談をさせていただき、ありがとうございました。
プロフィール 原田浩司(はらだ・こうじ)氏
宇都宮大学大学院 教育学研究科 准教授
1977年 同志社大学商学部 卒業
1980年 宇都宮大学教育学部 卒業
宇都宮大学教育学部卒業後、教職に就く。校長を務めた鹿沼市立みなみ小学校は、特別支援教育を中核とした学校改革で、全国的に注目を集めた。
2015年より現職。学生指導のかたわら、全国各地で講演や教育アドバイスを行う。
インタビュアー 齋藤幸一 氏
有限会社アップライジング 代表取締役
1975年11月14日、栃木県宇都宮市生まれ。作新学院高校英進部から法政大学経営学部へ進学。高校、大学時代にはボクシング部のキャプテンを務めた。
プロボクサーとなるが24歳で引退後、2006年、有限会社アップライジングを設立。現在、代表取締役社長に就任し、世界中のタイヤ関係者が修行に来る中古タイヤ屋さんをめざして、新たな世界を極めようと日々奮闘している。