奥田拓也氏×黒川芳秋氏【対談】人との出会いが世界を変える、三方よしの精神を海外にも根付かせたい
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人との出会いが世界を変える、三方よしの精神を海外にも根付かせたい
ごく平凡だった少年は、苦手な英語を克服するために単身渡米する。しかし身につけたのは英語よりも自分の国を客観的に見ることのできる視点だった。「良いところも悪いところも見え方が異なる」と言う株式会社Kurokawa代表取締役の黒川芳秋氏は3代・60年以上続くリユース・リサイクルの先駆者だ。常に「どうしたら次の世代が住みやすい地球になるのか」という視点から事業を構想し、三方良しの精神で「在るべき循環の姿」を追求する。<編集部より>
奥田拓也氏 株式会社未来区 代表取締役 × 黒川芳秋氏 株式会社Kurokawa 代表取締役 対談
奥田拓也・株式会社未来区代表取締役 まず黒川さんの生い立ちから現在に至るまでを。
黒川芳秋・株式会社Kurokawa代表取締役 生まれは神戸市と姫路市の間の兵庫県高砂市です。小さい頃は小児ぜんそくと卵アレルギーで、親からは「育てるのが大変だった」と聞いています。夜中にせき込んで病院に連れ込まれたと言われても全く覚えていません。小学校から高校へは割と平凡に過ごしていましたが、高校を卒業後、専門学校に入って、そのあと3年ほどアメリカに留学しました。
奥田 アメリカ留学の目的は何だったのですか?
黒川 これからは英語が必要だと感じて、語学を学ばなければと思いました。中学校、高校の全教科の中で英語の成績が一番悪かったのです。必要なら留学して身につけようと考えました。英語をバリバリ話せるようにはなりませんでしたが、視野は広がりましたね。
奥田 3年間渡米したままだったのですか?
黒川 ほぼ行きっ放しでした。年に1回帰った程度です。
奥田 若い頃に全くの他文化に触れるというのは、やはり人生に与える影響はありましたか?
黒川 ありましたね。今のビジネスも海外との接点がありますが、振り返ってみると日本を日本の中から見るのと、外から見るのとではやはり見え方が全然違います。日本の中にいると日本の良いところがなかなか見えてこないのですが、日本の外から見ると悪いところも良いところも客観的に見えるようになりますし、比較できるものができます。日本人同士を比較すると日本の中での比較でしかないのですが、アメリカの文化とかヨーロッパの文化に触れて、それらと日本とを比較すると、見えてくるものが違ってくるのはとても大きいと思います。
帰国した次の日から出社
奥田 学校を卒業されて、黒川商店(有限会社黒川商店・現株式会社Kurokawa)に就職されたんですよね?
黒川 そうです。帰ってきてすぐに、父親と「この先どうするのか?」という話になった時に「跡を継ごうと思っている」ということになって、「では明日から働け」というのが帰国したその日の晩です。
奥田 将来会社を継ぐにしても、その前によその会社で働くというような気持ちはありませんでしたか?
黒川 全くなかったというわけではないですが、やりたいことや、他にこれが必要だということがなかったので、選択肢は継ぐという一択でしたね。
奥田 そこに迷いとか葛藤とかはありましたか?
黒川 その時点ではありませんでした。その前にはありました。15歳とか、人生の選択をしなければならない時期があるじゃないですか。あれになりたい、これになりたいと考えたりしましたが、学校を卒業する時はそういう選択肢は考えず「会社を継ぐんだろうな」というような気持ちでした。
奥田 就職されて、20代の頃は会社の中ではどのような仕事や位置づけだったのですか?
黒川 当時、会社もそれほど大きくはなくて、荷物の配達から店舗、開発、SVなど20代はいろいろなことをさせてもらいました。
代々、リユースとリサイクル
奥田 黒川という会社はどんな事業をしてらっしゃるんですか?
黒川 創業62年目で、代々、古着や衣類をリユース、リサイクルする会社です。元々、繊維加工業という聞き慣れない業態で、廃品回収や資源ごみとして集まった古着を買い取って、それを加工してウエス(清掃に使われる布切れ)にしたり、海外に輸出したり、あるいは反毛という生地を細かく糸繊維に戻して、車の防音材や断熱材にする、というようなことをしていました。オイルショックで市場が混乱した際に私たちの事業もかなり傾きました。その中で先代が「社員の削減はできない、どうしよう」と悩んでいました。当時、従業員が「社長、これ買って帰っていいか?」と言って古着を持ち帰っていたのをヒントに、集まって来た古着をもう一度、服として国内で販売できないかと考えまずはフリーマーケットのように売り始めたら、飛ぶように売れたそうです。その流れを見て、母体である故繊維事業がさらに厳しくなった時に、社員を解雇するのでなく、古着を販売する店舗を展開していこうということで1号店をやらせていただきました。
製造から小売へ
奥田 元々は故繊維の加工をする、どちらかというと工場的な会社からリユースの小売りの会社へと変えていったのですね。
黒川 30年近く前ですから、たぶんリサイクルショップとしては創成期からやっていることになります。当時は「かくれんぼ」という店名で、委託販売と故繊維から集まった物を使ってショップ展開しました。6店舗くらいまで出店したんですが、委託販売はとても手間がかかり、規模の拡大とビジネスとしてのバランスが思うようにならなくなりました。それで新たに生まれたのが、買い取り専門の「キングファミリー」という業態です。20年前に生まれて、順調に店舗展開でき、15年前にはその業態をフランチャイズに展開するタイミングで、私が代表をやらせていただくことになって、現在に至っています。
奥田 キングファミリーは買い取りだけなんですか?買い取ったものは?
黒川 その店舗で販売します。委託はせず、別のところから集めて売るということでもなく、地域の買い取りだけで商売をやっています。
「何か違うだろ」
奥田 社長に就任したのはおいくつの時ですか?
黒川 15年前ですから26の時ですね。タイミングも良かったというか、先代が代表をやっていてフランチャイズ展開しようという時に一度、分社しているんです。株式会社キングファミリーというフランチャイズ本部としての会社と、そこに加盟して故繊維事業者の黒川商店とを分社させ、先々代からの黒川商店の代表が先代で、新しい会社の代表に私がなったということで、すんなり代表になりました。
奥田 先代の中ではキングファミリー事業をするために会社を分けたので、一事業部を任せたような形だったのでしょうか?
黒川 イメージは近いですね。完全に分社して別会社にはなっていましたが、同じ事務所にあって、スタッフも分社した意識は全くなかったと思います。私も経営者とはどういう仕事をしなければならないのかということが、ごく最近になって少しづつ見えてきたくらいですから、事業部長くらいのイメージでしか経営を捉えられていなかったかもしれません。
奥田 キングファミリー事業を任されて、その後の展開はどのようになったのでしょうか?
黒川 キングファミリー1号店は20年前、フランチャイズ事業としたのが15年前の2000年ですね。立ち上げ当時は調子が良く、毎年、倍、倍、倍くらいの勢いで店舗数も増えていきました。5期、6期、7期と店舗も増えているんですが、気がついて振り返ると、本部の人材が育っていませんでした。さらにロジスティックがかなり事業自体を圧迫している構造になっていました。
集めた古着の2割くらいを店舗で販売して、残りの8割は故繊維の事業として海外に輸出していました。集まった物を有効に活用することを我々の事業の中心としてずっとやってきたわけですが、輸出事業は集めれば集めるほど、物流コストがかかってきます。ただこれを切り捨ててしまうと、事業の理念と核を失ってしまいます。でも出店を続ければ赤字になりますから、5期から7期の間のだけでも億単位の損を出しました。いろいろな手を打って事業は復活するのですが、「何か違うだろ」という思いのまま10年が過ぎました。
ターニングポイントは震災
黒川 経営者が「何か違うな」と思っているので、店舗にも勢いがなくなってきて、伸びたり縮んだりして店舗数は80店舗くらいをずっと彷徨っていました。そして数年前の東日本大震災が、私の経営者としてのターニングポイントになっています。震災が起きて北関東の店舗は崩壊して数ヶ月事業ができない状態になり、関東周辺のオーナーさんは計画停電やら何やらで経営が悪化しました。そんな時こそ、私自身がきちんとしていないと会社も機能しないし、オーナーたちも不安になります。「どうしていいかわからない」という状態になり、自分のやり方を見直して「私自身の在り方がずいぶん間違っていたんだ」と気づいて方向修正を始めました。そんな中で出会ったのが経営実践研究会だったり、PICC(一般社団法人公益資本主義推進協議会)だったりです。そこで学びながら、やはり学んだだけ今は少しずつ、また伸びに転じてきて、売上もここ2、3年くらいは年率で10%くらいずつ伸びて、今期に入ってようやく100店舗を達成することになって少しずつ前に進み始めたような気がします。
新事業フクサポとは?
奥田 今、取り組んでらっしゃる「フクサポ」についてお聞かせいただけませんか?
黒川 フクサポという事業は、インターネットでいろんな個人、企業、団体の方々から古着、衣料品を送っていただいて、受け取った箱数に応じてNPO法人テラ・ルネッサンスへ寄付するという仕組みです。経営実践研究会でテラの代表である鬼丸昌也さんが講演されている時に参加させていただいて、名刺交換を鬼丸さんとさせていただいた時に「中古衣料の事業をされているんですね。我々も衣料のことで困っているので、ぜひ一度連絡させてください」というので連絡を取り合いました。話を聞いてみると、NPOでも収益構造を作らなければならないので寄付として、現金だけでなくインクカートリッジ、切手、古本などを集めて換金して事業資金にされたりしていました。その中で古着、中古衣料も意外に要望があるようで、これがどうにかならないかとずっと考えられていたのですが、方法がなかったのだそうです。出会った時に「何とか一緒にやりましょう」という流れで生みだされたのがフクサポという事業です。
奥田 フクサポはどういう仕組みなのですか?企業、個人さんから不要になった衣料を送ってもらう、その後はどうなるのですか?
黒川 その後は我々が事業を通して、国内で販売できるものは販売して、国内で販売できないものは海外に輸出して、東南アジアなどでリユース衣料として使っていただく、そこから生まれた収益の一部をテラへ寄付するという流れです。
送っていただく方はいらなくなったものを箱に詰めていただくだけです。お部屋をすっきりしたい、物は片付けたい、でも日本人は心の根っこのところでムダに捨てることがすごく嫌なんですよ。ムダに捨てれば環境にも悪いし、気持ちも良くない、それを一気に解決しようとしています。元々キングファミリーの事業もそこに目をつけて、全て買い取るという形にしているんですけど、フクサポに関してもお部屋をすっきりさせられる、しかもすっきりさせた後、寄付という形で鬼丸さんたちの団体を通じてアフリカの子供たちやカンボジアの地雷撤去などの支援活動ができます。
NPOとかNGOとかに寄付しても寄付の先がどうなっているのかわからない団体が多い中、鬼丸さんの本気度と言うか、現地に行って自分たちの目で見て判断して、自分たちが実際に関わってやる、というスタンスにすごく共感して、います。この人となら一緒にできるかなと思ってスタートしました。送ってもらう方々にはお部屋も心もすっきりしていただき、鬼丸さんのNPOには寄付が集まって支援ができて、我々は古着が集まって物の有効活用ができるという形で今、事業を展開させていただいています。
資源やエネルギー循環の在るべき姿を求めて
奥田 三方よしの精神ですね。10年、20年先、もしくはもっと未来のビジョンをお聞かせいただけますか?
黒川 キングファミリーは単なるリサイクルショップではなく、ムダに捨てられてしまって活用されていない物を有効に活かすビジネスをしています。地球の歴史上、かつてないくらいのピンチに今来ているわけですよね。それなのにみんな欲に走って、これでもかというくらい物を使ってしまっていますが、それを何とかしたいという思いで、今は資源の循環として古着の活用をしています。
衣料はリユースとして使っていますが、できればその先のリサイクルまでもって行きたいと思っています。集まったものを資源として再生して、繊維に戻して新品の服を作るというところまで行きたいと思うのですが、そうすると、再生がしやすい衣服の製造から手掛けなければなりません。だた、それだけで本当に環境は良くなるのかなと、最近は感じています。私たちの次の世代が住みやすい地球になるのかなと思ったら、まだまだやらなければならない事がたくさんあると思います。今後は、いろいろな物資源の循環、エネルギーの循環、食の循環、あらゆるものの在るべき循環を何とか取り戻すことに取り組みたいです。
そのために自分たちにできる活動は少ないと思います。私たちの事業を大きくさせていただくのにフランチャイズという方法で、いろいろな企業と一緒にやるという形を選んだのと同じように、いろいろなことに長けた人とパートナーシップを組んで、循環型のビジネスをどんどん広げていきたいです。フクサポは一つの切り口ですが、三方よしになるような活動を広げることで地球のあるべき循環を取り戻すことに貢献できたらと思っています。
経営実践研究会やPICCにある秘密
奥田 黒川社長と経営実践研究会との出会いは?
黒川 事務局の岸本さんには不動産の家賃交渉の会社に勤めてらっしゃった時に、営業として何件かお手伝いしていただきました。彼がその会社を辞めて今の株式会社CFSさんに入られて、研修の話を持ってきてくださって、その研修の仕方・仕組みが面白いと、2年ほど弊社の研修をお手伝いいただきました。その中で「こんな経営者の勉強会があるんですけど、興味はありますか?」とお話をいただいて、面白そうだと思い行ったのが鬼丸さんの講演会でした。実はその前に「大久保秀夫塾」にも誘われて九州まで行っているのですが、その時は正直、よくわからなかったです。研修に行って数ヶ月目くらいに、藤岡(俊雄・経営実践研究会理事長)さんとも会って「どうだい?」とは言われていたのですが、その後に鬼丸さんの講演会に行って、やっと全部の流れが繋がりました。経営実践研究会でお会いする経営者の方々もが素晴らしいと感じて入ったのが1年半くらい前でしょうか。奥田さんの方は。
奥田 私は柳川誉之社長経由でPICCには2014年10月に入りました。柳川さんとその半年くらい前に出会って、「6月の会長講演に来ないか」と言われて最初「嫌だな」と思いましたが「行けます」と言って6月か、7月かの会長講演に行きました。自分のことではなく、世のため、人のため、地球のために、こんなに真剣に考える人たちがいるんだと純粋に感動を受けたんですけど、これは今、私がやることではないと思いました。
その後も柳川さんとは友だち付き合いをさせていただいていて、ちょうどその頃、業績がどんどん悪くなっていく時で、柳川さんを見ていると「この人は何で自分の仕事と関係ないことにいつも一生懸命で、いつもはつらつとしてあちこち動き回っているのか。何でなんだろう」と感じていました。柳川誉之の秘密が経営実践研究会やPICCにあるのなら私も知りたいと思って、理念はあまり知らないで入りました。それが去年の10月です。
黒川 やはり経営実践研究会に出会うきっかけはみんな人ですね。
奥田 そうですね。
黒川 ネットで見たとかメルマガが来たからとかいう人もいますけど、誰かの魅力で入ったという人が多いですね。
奥田 私は非常に人嫌いでして、営業という仕事をしていますが、今思うと何と小さくて何と思い上がっていたのだろうと思うのは「私のことを理解してくれる好きな人とだけつきあっていけばいい。理解してくれない人と仕事はしたくない」と当時、本当に思っていました。この会に入って教えていただいて、結局、運やチャンスは人づてにしか入ってこない、自ら人嫌いと言うのは非常に損だなとやっと気づきました。もちろん苦手な人とかはいますが、好きな人も嫌いな人も自分から心の扉を開いて、全部受け入れようと考え方を変えました。そうすると不思議なもので、今まで苦手な人も苦手という意識がなくなって、ぎくしゃくしていたお客さんとの関係もなぜかスムーズになったり、思いもかけない人から急に仕事をいただけたり、いい循環が出てきたりしました。「世の中を変えるのではなく、自分を変えることで世の中が変わる」というのはよく聞く話ですが、それをこの短期間で体験できたのは素晴らしいと思っています。それをたくさんの方が賛同していただけるなら、たくさんの仲間に広めていくことが、楽しいだけでなく、いい会になるのではないかと思います。
黒川 そういう人が集まると違いますよね。
奥田 そうですね、いいエネルギーの影響を受けますね。
黒川 流れというか空気感が違いますし、引き寄せというのはやっぱりあると思います。
奥田 それは感じますね。勉強しなければならないことも一緒に引きよせますけれど。
海外の日本に対する評価
黒川 うちも来期は経営が大変になっていくと予測しているので、どう乗り越えていくかを今模索中です。どんな事業にも浮き沈みがあるので、それをどこまで予見して事前に手が打てるか、それをどううまく利益にコンバージョンしていくのか考えているところです。
その一環で海外への事業展開も考えています。弊社は輸出と言っても卸一本でずっと来たのですが、今年の末には海外支店展開をしようと思っています。世界の衣料品の8割は中国で作られていますが、日本に一回入ってきて、また中古衣料として海外に輸出されても評価が非常に高いのです。日本向けの商品には日本クオリティの製造マネジメントが入っているので、例えば同価格の海外向け商品に比べると断然品質が良いです。日本経由で入ってきた物が中古衣料としてアジアに戻っても、中国で作ったアジア向け新品商品よりも、信頼度が同じか高いくらいであることを海外では実感できます。
カンボジアやタイ、ベトナムへ行くと日本の企業、日本の商品、日本人というだけで信用度も高く、ウエルカムという感じなんですね。日本人は騙さないし、真面目だし、一緒に事業しても損をしないと思われています。これは私たちより以前のアジアと関わってきた日本人が積み上げてきてくれた物だと感謝しています。他のアジア人は、儲かりそうと思うと一気に来て、トレンドがすぎると、そのまま引き払って本国に帰ってしまって、「残ったものはどうするの?」というような話をよく聞きます。日本人はそういうことはあまりしません。日本人も積極的にアジアに出て、自分の持てるノウハウだとか情報をもっと使っていくべきだと、海外に出ると肌で感じます。
資本主義の歪みを放っておけない
黒川 途上国が間違った成長をしているのは明らかでひどいです。月給1万〜1万5千円の人がマーケティングに洗脳されて10万円のスマホを買うんですよ、後先考えず。さらに10万円のバイクを買うんです。みんな乗っているからというのが理由です。社員採用の時に何を見るかというと算数ができるかどうかなんですけど、出来ない人が多いです。足し算、引き算が。なのに高価なスマホをみんな持っていて、ごついバイクに乗っていたりするのですから。将来の設計1を見失っていますね。
でもこれらを売っているのは国内のメーカーではなく、売りにきている海外メーカーの人たちがマーケティングという名の暴力で売りつけているんですね。そして、そのお金は別のところに流れていくので、大きな偏りが出ています。現地の人たちはまだまだ貧しい生活をしているのに、そういうことをやっている海外企業の経営幹部は日本でも見られないような高級車に乗りまくっています。
その辺りの歪みはPICCでも経営実践研究会でも「資本主義の歪みをこのまま放っておいたらヤバイよ」と再三訴えていますが、日本より海外で見る方が、えらいことになるなと感じます。
縁あって海外で事業展開するので三方よしの考えのビジネスモデルをしっかり現地にも根付かせることで貢献できたらと思っています。
プロフィール 奥田拓也氏
株式会社未来区 代表取締役
1974年大阪生まれ。大学卒業後、建設業5年、不動産業10年を経て、2012年に資本金30万円、自宅で電話一本から店舗仲介をメインとした不動産会社『未来区』を設立。事業活動を通じ社会と地球に貢献すること。事業用不動産領域を起点とし常に未来志向の発想で地球益の貢献に取り組む。
プロフィール 黒川芳秋氏
株式会社Kurokawa 代表取締役
創業62年、父親から代々受け継いだ衣料品、衣類リユース、リサイクル事業を行う。衣料品買い取りFC事業『キングファミリー』の全国展開を推し進め、他業態など現在に至る。社会貢献度の高い企業として海外への発信、意識も高い。来期海外進出も計画している。