柳川誉之氏【forsix フォーシックス】スタッフとその家族の幸福度を高めていくことが使命!
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スタッフとその家族の幸福度を高めていくことが使命
「人の役に立ちたい」「人のために働きたい」というのは人が持つ根源的な欲求だとマズローは説いた。しかしながら、ビジネスの世界では、理想の現実のバランスはそれほど単純ではなく、会社の舵取りを担う経営者には覚悟も求められる。スタッフとその家族。取引先とその家族。顧客。地域住民。株主・出資者。それぞれ5者の幸福度を高めながら6番目の「社会」へ貢献できる企業になりたいと、社名をフォーシックス(forsix)と名付けた柳川誉之社長に、その思いを聞く。<編集部より>
柳川誉之氏 株式会社フォーシックス 代表取締役
家族を対象とした居酒屋
株式会社 シーエフエス 代表取締役 藤岡俊雄(以下、藤岡): 柳川さんの、現在のお仕事についてお聞かせください。
株式会社フォーシックス 代表取締役 柳川誉之(以下、柳川): 私どもは大阪府羽曳野(はびきの)市で、海鮮居酒屋を経営しています。およそ120坪の店内に席数は123席、スタッフは40名ほどです。高校生が12人、大学生が11人、パートスタッフが7人、あとはフリーアルバイターと社員で構成されています。
ご家族を対象とした居酒屋で、「家族愛」をテーマに居場所づくりをしており、そちらで家族愛の確認や思い出づくりのお手伝いをしています。
私の会社もそうなりたい
藤岡: 障がい者雇用にも、積極的に取り組んでいるとお聞きしています。
柳川: はい、2013年に「フォーシックス」を設立しましたが、それ以前から「本来の会社とはこういうものだ」と思う理想像や、こうしたいという姿がありました。
個人経営時代も含め、今年で創業して25年になりますが、これまではなかなかそこへ向かうことができず、「何かが違う」と感じつつも、事業をしながら自分が正しいと思う道を進んできました。
2009年か2010年に、一冊の本と出会いました。心理学者のアブラハム・マズローが書いた、「完全なる経営」です。
その中には「みんなが手を取り合って」とか、「人は働きたいものである」など、私の腹に落ちることがたくさん書いてありました。
それをきっかけにさまざまな本を拝読する中で、「日本で一番大切にしたい会社(坂本光司 著)」に出会い、伊那食品工業さんや日本理化学工業さんの存在を知りました。特に障がい者雇用を積極的に行っている、日本理化学工業さんには感銘を受けました。
当初は、近隣の施設から障がい者の研修を渋々受け入れたのに、研修期間が終わったら他の社員が「辞めさせないでくれ」と涙ながらに訴えたと言います。賃上げや労働環境の改善を会社に訴えるのではなく、「弱者を助けたい」と社員が力を合わせ、経営陣に直談判したそうです。
伊那食品工業さんも、会社周辺に迷惑をかけぬよう、社員の出社時に「右折禁止」のルールを作り、回り道をして遠くの駐車場に停めるようにするなど「よい会社」をめざされています。
私もそういう会社にしていきたいと思い、それが障がい者雇用のきっかけになりました。
ビジョンを社員に伝えるということ
藤岡: 今後については、どのような展望をお持ちですか。
柳川:フォーシックスの立ち上げ当初の1年ほどは、とにかく目の前の仕事をすることに一生懸命で、ゆっくり考える時間もありませんでした。しかし翌年、私がインフルエンザで倒れ、5日間ゆっくり考える時間がありました。その時、「日々、一所懸命働こう」という姿勢は伝えていたけれども、「その先に何があるか」というビジョンは伝えていないと気づいたのです。
「この先どうしていきたいか」ということで、「障害者を雇用したい」「自殺者を減らしたい」「そのために誰もが寄り合える居場所を作っていく」、という3つのビジョンを掲げ、アルバイトを含むスタッフ一人ひとりに対面で数時間かけて伝え、賛同してもらいました。
そのころ、東洋経済に掲載された「障がい者雇用ランキング」を見て愕然としました。第1位が5%でした。第2位は確か2%か3%でした。
私たちが微力ながら率先して取り組むことにより、全体的な障がい者雇用率の上昇につなげることができるのではないかと思いました。同時に人間関係の障害をなくし、「人間的バリアフリー環境」の会社を創っていきたいです。
人は誰もが障がいを持っている
柳川:2008年か2009年頃から、「人は誰もが障がいを持っているのではないか」と思い始めました。人は長所・短所含め、それぞれにさまざまな特色や個性があるのに、私自身も「男はこうだ、女はこうだ」のように思っていました。
仕事で東京に行った際、さまざまな人種、境遇の人たちに出会いました。大阪に生まれ育った私には、「大阪がナンバーワンや。東京がどないした」という意識がありましたが、東京の人たちは温かく歓迎してくれました。その場所で多種多様の人たちと出会い、その方々から「人を認めること」を学んだのです。
「まずは相手を受け入れ、相手を認める」、「誰にでも得意な分野があり、苦手な分野がある。その苦手な分野が、障がいなのではないか?」と思うようになりました。
藤岡: 柳川さんの名刺の裏には、理念やミッション(目的・存在意義)が書いてありますね。このようなことを書くようになって、会社は変化しましたか?
柳川: はい、現在は第一のミッションとして「スタッフとその家族の幸福度を高める」があります。元々そのような思いだったのですが、フォーシックスを作った時には、「スタッフとその家族の幸福を願う」でした。「フォーシックスという会社は、果たしてどこまでスタッフやその家族を幸せにできるのだろうか」という不安があり、少し弱かったのです。
経営実践研究会に入り、「ミッションというのは絵空事ではない。自信を持っていいことだ」と学びました。「願う」では誰もついてこない。「絶対に高めてやる」という意識でやらなければ、と数か月で元の思いに戻しました。
名刺に記載し、そのミッションをスタッフ1人1人に力強く伝えることで、全スタッフがミッションを他人に話せることができるようになっています。さらに、カンボジアの教育支援や母子家庭支援など、社会へ貢献することを全スタッフが意識し始めたところです。
藤岡:100年企業をめざし、ご一緒にがんばりましょう。
柳川:これからも学びを深めていきたく思います。よろしくお願いします。
株式会社フォーシックス 代表取締役
一般社団法人 公益資本主義推進協議会(PICC) 大阪支部副支部長
大阪の下町生まれ、7人兄弟の末っ子で、一番上とは20歳差。周囲は大人ばかりの環境で育つ。7歳、初めて自分でお金を稼ぐ。実家のお店を手伝い、お客さんからお駄賃をもらう。12歳、喫茶店を手伝い、給食費も自分で払う。時給は350円。14歳、喫茶店のレジ〆も。夏休みには屋台を手伝い、以降15年間続く。16歳、バイトに来る同世代の学生を面接。20歳、喫茶店を営む兄の急逝に伴い、跡継ぎになる。その後、飲食業やコンサルティング会社などを経て、恩人の頼みで現在の前身となる「阿波水産」の店舗マネージャーに。一緒に働くうち、スタッフは家族同然に。そんな折、本体の経営判断から閉店を検討されたとき、自らオーナーになることを決意。「お店は単に金稼ぎの職場でなく大切な心のよりどころ。居場所を守りたかった」。それを実践するために、経営を始める。
2016年1月下旬には大阪梅田エリアにて、新店舗「てつたろう 梅田中崎店」をオープン。