齋藤秀夫氏【栃木めっけの会】支援の形は自ら立ち上がる地域全体の相互支援に
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支援の形は自ら立ち上がる地域全体の相互支援に
東日本大震災で大きな被害を受けた、宮城県気仙沼市。2015年3月21日、春の夜空に美しい大輪の花が咲いた。
「気仙沼を花火で元気にしよう!」とチャリティープロジェクトを進めてきたのは、被災地を支援する栃木県のボランティア団体「栃木めっけの会」。今回のゲストである、同会会長の齋藤秀夫氏は「みんな下を向いて生きている。大きな花火を打ち上げて上を向かせたい。生きる気力を与えたい」の一言で「栃木めっけの会」の一員となった。栃木と気仙沼の元気を集め、希望で空を埋め尽くし、みんなの気持ちを一つにしたい、と活動を続けている。
会のメンバーは、「現地に行ってみたいけれど、自分では何もできないし、足手まといになるだけではないかと思っていたが、“めっけの会”と出会えたおかげで、楽しく活動しながらも、人の役に立つ喜びを覚えました」「花火の美しさで、形には残らなくても、いつまでも人の心に残る支援を」などと、にこやかに話す。「活動を続けていく中で、メンバーの夢や希望も叶えられる会にしていきたい」と齋藤氏は語る。<編集部より>
ボランティア団体 栃木めっけの会 会長 齋藤秀夫氏
「全員が中心で、全員が会長」のボランティア団体
アップライジング 代表取締役 齋藤幸一(以下、幸一): まず始めに、「栃木めっけの会」ができたきっかけを教えてください。
ボランティア団体 栃木めっけの会 会長 齋藤秀夫(以下、秀夫): きっかけは東日本大震災です。
「栃木めっけの会」(以下、めっけの会)副会長の、有限会社高徳花火工場の飯田国夫社長が所属している倫理法人会(一般社団法人 倫理研究所の法人会員組織)が、被害の大きかった気仙沼市の、倫理法人会の支援に行かれたたのです。
幸一:震災後、どのくらいで行かれたのですか?
秀夫: 震災から40日目です。主な活動は炊き出しでした。
震災直後、気仙沼の惨状を目の当たりにし、これは継続的に支援していかなければいけないという思いから、2012年6月に「めっけの会」が発足しました。
私が倫理法人会に入会したのは震災後で、最初の活動には参加していません。飯田さんに誘っていただき、仲間で集まったのが最初です。
その頃、既に飯田さんには、支援を続けていくための「めっけの会」構想がありました。
幸一:元々の発案者は飯田さんだったということですか?
秀夫: そうですね。
幸一:飯田さんの考えに皆さんが賛同されて、現在は齋藤さんを中心に活動しているということですか?
秀夫: 私が会長をやらせていただいてはいますが、全員が中心で、全員が会長ですね。
花火の力で気仙沼を元気に
幸一:次に、「めっけの会」の主な活動内容を教えてください。他のボランティア団体とは違った、独自の活動などはありますか?
秀夫: 花火を主体とした支援が「めっけの会」の特徴です。
飯田さんが花火の会社を経営していることもあり、震災翌年の2012年に気仙沼に花火を上げに行かれました。
その時地元の方々に、非常に喜んでもらえたことで、「花火は人々を元気にしてくれる」いうことを確信し、「よし、我々は花火で支援をしていこう!」と思いついたそうです。
幸一: 震災の記憶が薄れそうな時に、花火が「ドーン」と打ち上がって記憶が蘇る。しかも、上に昇っていく花火。生きる気力にもなりますよね。
秀夫: 花火は遠くからでも眺められます。一人でも多くの人に支援の気持ちが届くことを願っています。
4度目の挑戦で見た「支援の花火」
幸一: これまで何回、花火を打ち上げに行かれたのですか?
秀夫: 4回です。最初は2012年の12月に打ち上げに行きましたが、当日は残念ながら強風で打ち上げを断念せざるを得ませんでした。
仕切り直しの花火が2013年3月に決まりましたが、その日も風が強く、無情にも打ち上げができませんでした。
翌日、地元の花火師によって無事に打ち上げられましたが、私たち、栃木県からバスで行ったメンバーは前日に帰らなくてはならず、残念ながら花火を見ることが出来ませんでした。それが3回。
4回目は2015年3月21日でした。会場も高台から海上に移り、ようやくみんなで花火を見ることができました。それは大成功でした!
幸一: 船上からのほうが、打ち上げの規制が少ないのですか?
秀夫: それは飯田さんのほうが詳しいですね。
ボランティア団体 栃木めっけの会 副会長 飯田国夫(以下、飯田): 湾になっているので風の影響を受けにくいことと、海の上は広いので大きな花火を上げられるのです。地元の方々からのアドバイスもありまして、船の上から打ち上げることになりました。
幸一: 打ち上げられる確率の高いほうがいいですよね。
秀夫: 当初から花火を見に行くバスツアーを企画していましたが、せっかく気仙沼まで行っても花火を見られず帰ってくるというのが3年続きました。4年目にして予定通り観ることができて、本当によかったです。バスツアーの目的は花火だけでなく、商店街を活気づける目的もあります。
震災からもうすぐ5年が経ちますが、風化させてはいけない。被災地の現状を知り、伝えることも必要だと思います。
幸一: 花火を観て、地元の方の反応はどうでしたか?
秀夫: 反応はすごく感じました。涙する人や、手を握って何度もお礼を言ってくださる方など。
たくさんの方が観客席に来てくださって、みんなで感動を分かち合えたのが嬉しかったです。
気仙沼復興商店街・南町紫市場の本設に希望を
幸一: 今後の活動計画について教えてください。
秀夫: まずは、気仙沼復興商店街・南町紫市場の本設です。
本設は2016年末の予定です。本設になったところで花火に関しては一区切りつけまして、次の支援先を見つけていきたいと思っています。
幸一: 素晴らしいですね。
支援を続けていくには活動資金も必要ですが、資金面について教えてください。
秀夫: 震災直後は寄付金を集めやすかったのですが、現在は難しくなってきています。そこで、ファッションショーや餅つきなどを開催したり、イベントに出店したりして資金を集めています。
中でも、昨年(2015年)行ったファッションショーは大盛況でした。
今年(2016年)はプロの方をお呼びして、コンサートを開催する予定です。
昨年(2015年)、気仙沼市市長を表敬訪問した際には、講演や助成金の話もありました。
また、商店街のつながりでの寄付など、地元の方にも協力いただけるようになりました。商店街の人たちが自ら行動して、募金箱を設置、寄付してくれたのです。
街の人たちが商店街を盛り上げて、立ち上がろうとしている気持ちが大変嬉しかったです。相互支援になることで「めっけの会」の活動も、より長く続いていくと思います。
幸一: ということは、「めっけの会」の名前も変わるかもしれませんね。「栃木・気仙沼めっけの会」に(笑)。
秀夫: それはありません(笑)。
「めっけの会」の親睦会の時に、「めっけの会で自分の夢を実現させたい!」と話してくれた会員さんがいました。 私たちが活動していくことは、個人個人の夢や希望につながっていることを実感しました。活動を続けていく中で私たちの夢や希望も叶えられる、そういう会にできたらいいなあ、と思っています。
幸一: 会長は、この先も齋藤さんですか?
秀夫: せめて南町紫市場の本設までは、会長として見届けたいと思います。
幸一: 仮設が本設になるのが楽しみですね。その時は、バス何台で行きますか?
秀夫: 何十台でしょうか?(笑)
バスで行くと地元の方がとても喜ぶのですよ。たくさん買い物もしますし、大勢の人が来ると、活気が出ますからね。
幸一: 私もぜひバスツアーに参加させていただきたいと思います。
今日はいろいろと貴重なお話をありがとうございました。
秀夫: ありがとうございました。
生きる喜びを与えられる、その素晴らしさ
幸一:最後に「めっけの会」発起人、飯田さんからも、ぜひ一言お願いします。
飯田: 炊き出しなど、いろいろなボランティアをする中で、「心のボランティア」が一番だと感じました。
4回目にして大成功した花火大会は、気仙沼市が広報で知らせてくれたこともあり、本当にたくさんの人にお集まりいただきました。
中でも、私の手を握って何度もお礼を言う、おじいちゃんの姿が忘れられません。
「生きる喜びを与えられる」ということが、「めっけの会」の素晴らしいところです。今後も、栃木と気仙沼市との縁を大切にしていきたいと思っています。
幸一:栃木と気仙沼のコラボ商品「ふかひれ餃子」なんてどうでしょうか?
飯田: 商品開発もやりたいと思っています。売り上げの一部を活動資金にして、栃木の活性化にもつながれば嬉しいですね。
プロフィール 齋藤秀夫氏
ボランティア団体「めっけの会」会長 http://www.t-mekke.com/
カエルアドベンチャー株式会社 代表取締役 http://kaeru123.com/
「めっけの会」は、東日本大震災の被災地を支援する栃木県のボランティア団体(2012年6月に発足)。
カエルアドベンチャー株式会社(栃木県さくら市)は1998年に設立。カヌーを中心としたアウトドアスクールを運営、安全で楽しいアウトドアの普及をめざしている。また、子どもたちを対象とした自然体験活動にも力を入れ、子ども向けキャンプ、スキー教室などの野外活動や、「学童保育カエルクラブ」の運営も行う。
インタビューア 齋藤幸一 氏
有限会社アップライジング 代表取締役
1975年11月14日、栃木県宇都宮市生まれ。作新学院高校英進部から法政大学経営学部へ進学。
高校、大学時代にはボクシング部のキャプテンを務めた。
プロボクサーとなるが24歳で引退後、2006年、有限会社アップライジングを設立。
現在、代表取締役社長に就任し、世界中のタイヤ関係者が修行に来る中古タイヤ屋さんをめざして、新たな世界を極めようと日々奮闘している。